2012年11月23日(金) cafe bar 「 nu things 」 Sound×Theater

19:00-23:00
500yen(inc 1drink) 

Performance:
Yuki Aoe

Sound Creator / Live Player
音によるさまざまな表現をメディアに発表
Roland 社主催のコンテストではインストゥルメントの楽曲としては初の賞を受賞 関西国際空港で自身の楽曲が流れる事になる 2003 年にエレクトロニクス作品として「SOUNDS FROM JAPAN」をロンドン市内限定で販売 レーベルのコンピレーションアルバムにも楽曲を提供しながら現在はライヴをメインに活動している イヴェント -:concep:- 主催

映画の内容は崩さずに音により再構築させるSound×Theater。

今回は写真家、音楽家、作家でもある監督 Gas Van Santの当時、実験3部作とされた作品の中から「gerry」,「Elephant」を選択。
nu thingsのスペースを使い、音による演出をさせてもらいます。

Elephant (2003年、81min)
-Wikipediaからの引用-

1999年4月20日にコロラド州で起きた、世界を震撼させた惨劇・コロンバイン高校銃乱射事件をテーマにしている。
キャッチコピーは「キスも知らない17歳が銃の撃ち方は知っている」。
題名は、アラン・クラークが1989年にイギリスBBCのために製作し、北アイルランド紛争を描いた番組“Elephant”から、この番組への敬意としてとられた。暴力を描くにあたり、ヴァン・サントもクラーク同様、都合のいい容易な説明をあえて避けた。10代の若者たちが抱える表現を拒む不安、理解しがたい苛立ちなどと同等のものとして、学校内での暴力を扱っている。
ガス・ヴァン・サント自身も、題名“Elephant”には他にいろいろな含みを持たせている。

▪ 一つは“Elephant in the room”という慣用句に基づいたもので、これは誰の目にも明らかな大きな問題があるにもかかわらず、それについて誰も語ろうとせずに避けて日常を過ごすとの表現からの引用である。

▪ 更には「群盲象を評す」ということわざもあり、これは複数の盲人が一頭の象を触ってみて、象とは如何なる動物かと語ってみた逸話に基づいている。同じ象であっても、足を触った盲人は「木である」と言い、鼻を触れた盲人は「蛇である」と言った。「論ずる対象が同じであっても、その印象も評価も人それぞれに異なる」という意味であり、また「わずか一部分を取り上げたところで、その事象の全てがわかる訳ではない」という意味でもあり、「群盲象を模す」「群盲象を撫づ」ともいう。
カンヌ国際映画祭の会見においてヴァン・サントは、アメリカ共和党の銃規制の方針などと、その党シンボルである象を掛け合わせて、スタッフが題名を考えていたとの逸話も語った。
プロの役者は3人、しかも“大人”のみである。生徒はすべて、実際の高校生3000人からオーディションで選ばれた。台詞や役どころに彼らの実際の体験や生活を盛り込んであり、役名も彼らの本名である。そういう点から高校生活のリアル感を生み出している。

gerry (2002年、103min)

ガス・ヴァン・サントというと『グッド・ウィル・ハンティング』や『小説家を見つけたら』でウェルメイドなアカデミー賞を狙える作品を取ったかと思ったら、即座に本作『GERRY』や次の『エレファント』のようなヨーロッパ系の映画祭で気に入られるであろう作品を撮ってしまう。
なかでもこの『GERRY』は実験映画と呼んでも良いくらい映像表現である。マット・デイモンとケイシー・アフレックとともに脚本を作り荒野にでかけた。あとは彼らの彷徨を横移動するカメラで捉え続けることだけだろう。
そうすれば乾燥した土地をあてどもなくうろうろ歩き回るしかなくなった彼らの孤独が、喉の渇きとともに死の不安へと移り変わっていき、衝撃的な最後を迎える姿をみることができる。

人がひたすらなにかをする姿を映画にした作品はいくつかあるだろう。たとえば、『キプールの記憶』(アモス・ギタイ)では、戦場でぬかるみで負傷兵や死体を運び続ける看護兵を描いた。
アッバス・キアロスタミは『友達のうちはどこ?』で、友達のうちを探してうろうろする少年を捉え続けた。なによりも有名なのは、もはや人でもない『エンパイア・ステート・ビル』を捉え続けただろう。
映画のプロットがほとんどなく、ただひたすらなにかをする人を捕らえる映像は、それが単調になるほかない。映画的な感受性を豊かに持った才気溢れる映像作家にしか許されていない行為である。
ガス・ヴァン・サント、マット・デイモン、ケイシー・アフレックの3人はそんなことはもちろん知りながら、3人で車を駆って荒野へと行き、そこをうろうろしながら映画を作った。そこに美しくも残酷な−−ゲイにとってはというよりは人間にとって−−シーンが用意されている

この映画は、映像表現の最先端を切り開くものでもないが、映画とはなんだったのかを誠実に考えようとする良心がハリウッドの映画人にも息づいていることに思いをめぐらせてくれる。CGと複雑に展開するプロットばかりに気を取られて「映画」を見ることを忘れている観客にも良い薬となるだろう。 
(玉野シンジゲートより抜粋)

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